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6-15 最終処分1

最終処分とは

 廃棄物処理法には、最終処分の方法として、埋立処分と海洋投棄が限定列挙されている。ただし、海洋投棄はロンドン海洋投棄条約(廃棄物その他の物の投棄による海洋汚染の防止に関する条約、1972年採択、1975年発効、1996年議定書)を受けた国内法(海洋汚染防止法など)により、禁止されている。
 したがって、法律上、最終処分とは埋立処分に等しいということになる。
 しかし、最終処分が、廃棄物処理の流れのゴールという意味だとすれば、リユースやリサイクルもゴールである。実際、マニフェスト(産業廃棄物管理票)交付・回付実務においては、E票(最終処分確認票)の最終処分先としてリサイクル施設を記載してもよいことになっている。もしも、中間処分場が自らリサイクルを行っているなら、中間処分場が自らE票に記載すべき最終処分場になる。ただし、リサイクルは許可の必要な最終処分の方法とはされていない。
 廃棄物処理法には、再生事業者登録の制度があるが、これは許可ではなく、登録を受けた事業所が最終処分場になるわけではない。
 この法律上の最終処分の定義の曖昧さは、法律家の議論の的にはなっているが、実務的に大きな支障とはなっていないため、定義が見直される機運はない。それよりも、廃棄物処理法そのものを、廃棄物処理・リサイクル法に改めるべきである。
 現在、産業廃棄物の年間総排出量約4億トンにしめる最終処分のシェアは5%弱であるのに対して、再生利用量が50%を超えている状況を考えれば、狭義の最終処分(埋立処分)だけを最終処分としている法律は時代とのギャップが大きい。このため、リサイクル法(循環経済形成推進基本法、資源有効利用促進法、5つの個別リサイクル法、グリーン購入法)の実務と廃棄物処理法の実務との間に矛盾を生じることが多くなっている。そもそも廃棄物処理法には3Rの理念さえなく、その成立当初の意図からすれば「最終処分法」であると同時に、最近の改正の意図からすれば「不法投棄対策法」である。

最終処分は必要か

 循環型社会、ゼロエミッション、ごみゼロ、3R(4〜7Rくらいまでバラエティがある。たとえばトヨタは5R)、これらの言葉の意味するところは、微妙に違うが、その実現度を表す代表的な指標として、国でも自治体でも企業でも「最終処分率の低下」が用いられることは共通である。
 すなわち、最終処分はゼロであることが理想である。
 「そうはいっても最終処分はゼロにはならない」と、廃棄物処理業界は、ずっと反論してきた。
 この議論は、「犯罪がない社会には警察がいらない」とか、「病気がない社会には病院も医師もいらない」とかいう議論と同じではない。
 犯罪がない社会には警察がいらないという議論がありえないことは、社会学の祖とされるデュルケームがすでに説いている。デュルケームのすごさは、社会の秩序を乱さない程度の犯罪が社会の安定にとって必要だと説いたところにある。これは、病原体のまったくない無菌状態では、かえって人間は健康を保てないというのと似ている。病原体があるから、免疫システムが活性化し、健康が維持できるというのだ。
 しかし、最終処分があるから、廃棄物処理システムの健全性が維持できるとはいえない。すべての廃棄物の100%循環利用するシステムが確立されていない現状では、最終処分場の確保は、最後の保険あるいはセーフティネットとして、廃棄物処理システムを支えている。しかし、最近の環境省の統計を見ると、その比重は5年を半減期として、急速に縮小している。現在の最終処分量は年間2000万トン程度だが、近い将来1000万トン程度まで縮小する可能性が高い。それでもまだ300万トン級(内陸型最終処分場の限界的な規模)の処分場が毎年3個ずつ消えていくのだから、十分に小さいとは言えないが、最終処分場の必要性はかぎりなく小さくなっていくに違いない。

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